くろねこ小隊の不確定な作戦1:「―くろねこ中尉のささやかなひみつ―」

 見上げれば、目眩がするような真っ青な空。放射性物質にまみれた塵は、もうどこにも見当たらない。幾度かの雨が、塵をきれいに洗い流してくれた。もっとも、すべてが地下水に溶け込んだわけだが。でもまあ、あの原子力施設の事故以来、我が国の除染技術は格段に進歩した。それに、核兵器による残存放射性物質は、それほど多くはない。一時期、ソ連の連中は「ドゥームズデイ・ウェポン(最後の審判日の兵器)」なんてコバルト爆弾を作っていたが、あんなものは時代遅れだ。あの兵器は、冷戦における狂気の産物だったな。大量の放射性コバルトを大気中にばらまいて、地上にいる生物を一掃しようだなんて、普通の頭なら思いつかないし開発しようとも思わない。

 それに比べ、現在、実戦配備されている核兵器は、それほどまでには放射性物質を残さない。そうでないと、戦略的にも戦術的にも使用できるものではない。だから大丈夫なんだ。皆、無事なんだ。

 無事であってくれ…

 いまから二週間ほど前になるだろうか。我が国、日本は何者かから核攻撃を受けた。のだと、思う。俺はあのとき、丹沢の山奥にある研究所にいた。学位論文を執筆するために、測定器を量子情報暗室に持ち込み、新しく考案した量子通信機の変調ユニットの計測を行っていたのだ。量子通信機はその性質上、信号の生成と読取りが非常にシビアだ。だから、実験はなるべく雑音の少ない場所で行う。そのための暗室が情報軍の通信隊付属研究所にあり、それを借りに行っていたのだ。

 と、そんなことを思い出していたら、急に腹の虫が鳴った。そう、俺は飢餓状態だった。最初のうちは、暗室の保管棚にあった非常用食料を食べていたのだが、そんなものはもう無い。しかも、移動手段まで無いのだ。だから、俺は歩く。食料を得るために。まあ、歩くのは嫌いじゃない。十分に腹が膨れていれば、な…。

 核攻撃があった日、さきほども言ったように俺は暗室の中にいた。一人だった。なかなか良いデータが取れなくて、これは学位を取るのは延期だな、なんて事を考え気が滅入っていた。俺の今の身分は、日本国情報軍情報解析部隊准将。軍人をやりつつ大学院へ通い、博士号の取得を目指している。学位さえ取ってしまえば、俺は一気に少佐になれる。昇進はいい。給料は増えるし、それに宿舎での部屋のグレードも上がる。基地の外に住むことも可能だ。それにそもそも、学位が取れなければ俺は情報軍を放り出されてしまう。それだけは避けたかった。

 情報軍は俺にあった職場だ。俺はもともと情報工学を学んでいたが、その知識をここではフルに活用できる。情報軍は平時は暗号技術について研究をしたり、インターネット上を飛び交う情報の盗聴および解析をメインの仕事にしている。他の軍隊と違って、泥臭いことをしなくて済むのが良い。まあ最低限の軍事訓練はあるが、我慢できないほどではない。俺は機械が好きだ。好きな機械いじりをやって給料をもらえるなんて最高じゃないか!

 そうそう。で、あの日は暗室の中にいたのだが、いきなりすべての電源が落ちた。照明が消え、俺は慌てて出入り口へ向かったところ、派手にすっ転んだ。恐らく、床を這いまわるケーブル類に足を引っ掛けたのだろう。もがきながらもドアに辿り着いたが、開閉ボタンを何度押しても反応が無い。しばらくすると非常灯が点灯したが、それと同時に俺はとんでもないメッセージを見つけた。壁に備え付けられた端末に、『非常時警報1により、すべてのドアは封鎖。詳細はマニュアル・アルファを見よ』とあったのだ。俺は壁のキーボックスから鍵を取り出し、その鍵を使って定められた手順で金庫を開けた。そして、マニュアル類を取り出して確認すると、そこには『核攻撃を受けた場合の対応』と書いてあったのだ。

 その時になって、俺は震えのあまり倒れ込んだと思う。ケーブルに足を引っ掛けて床に転んだ時は怒りしか感じなかったが、マニュアルを読んで倒れた時は絶望しか感じなかった。

 マニュアルを読み解くと、どうやら我が国は何者かにより大規模な核攻撃を受けて、それと同時に軍の施設はすべて閉鎖されたらしい。恐らく、生存者を確認し体制を立て直すためだろう。マニュアルにあった通り、俺は生存者信号を自分の携帯端末から送信し、そして外部からの連絡を待った。

 三日間も待った。

 でも、誰からも連絡は無いし、それに外部とも通信できない。三日もたってから俺はようやく気づいた。この暗室は電波も通さない。だから、俺の発した生存者信号は、誰にも届かなかったんだ。

「いぬみみ小隊シリーズ」から始まる、一連の義体化耳っ子兵SF作品の新作第一話です。以前のシリーズをお読みになっていなくても楽しめるように、執筆をしています。人工知能や義体を取り扱った作品ですが、ライトノベル的なキャラの可愛さも重視しました。