くろねこ小隊の収束する作戦4:「―通信網上の幻影―」

 いつの間にか年が明けてから二か月近く。ここ箱根学校の周辺はたまに雪がちらつくが、それでも少しずつ、ほんの少しずつだがたまに春めいた陽気が顔をのぞかせてきた。俺は仕事場の窓から差し込む淡い陽光に春の息吹を感じつつ、その向こうに広がる箱根学校の教育棟を眺めた。箱根学校の機能は平常時の六割ほどまでに復旧し、あと二から三か月でまた教育施設としての機能を再開させる予定だと言う。その準備のためか、何人もの義体化兵が教育棟の周辺を忙しなく歩いている。お、雨が降って来たらしい。外で作業をしていた義体化兵たちが、慌てて建物の中へと入っていく。

 俺はあの核攻撃の後に、この箱根学校へとやって来た。そのため、平時の学校がどのような様子だったのかはわからない。それでも、恐らく活気のある楽しいところだったのだろうと思う。それは、この学校を立て直そうとしている職員たちの表情から伺える。しかし、つくづく人間と言うものは忍耐強く、そして努力をするものだと思う。あの核攻撃を受けた直後は、もう俺たちの文明は終わったと思い込んでいた。恐らく他の者たちの多くもそう思っていただろう。だが、毎日少しずつでも努力を続けることで、僅か八ヶ月ほどでここまで復旧するとは。もちろん残留放射線が少なく、そして思っていた以上に破壊が甚大でなかったことも、ここまでのハイペースの復旧の原因ではあると思うが、やはりそれ以上に元の生活に戻りたいと願う人々の努力の賜物だろう。  俺はふと、事務机の傍の壁に貼られているメモ書きに視線を移す。そこには、梅月舞華のメンテナンス日程が書かれていた。梅月は、ついこの間俺たちが冬山で遭難していたところを救出した民間の義体利用者だ。恐らく、この世でただ一人の軍人ではない義体利用者。彼女の件は箱根学校の坂田校長が軍の上層部に掛け合ってくれたおかげで、緊急避難的に俺たちがメンテナンスなどの面倒をみることになった。俺たちの所属する情報軍を始め軍の組織は復旧が進んでいるが、まだまだ民間企業は再開のめどが立っていない。そのため、梅月のメンテナンスが実施できるのは、情報軍ぐらいなのだ。上層部もそう言った事情を勘案し、また坂田校長の提案を承諾したのだろう。もっとも、民間の義体についての情報を収集したいという思惑も見え隠れしたが。

 そんなことをぼんやりと考えながら、椅子の向きを変え背後を向く。あまりにも近い距離にあるメモ書きを注視していたためか、なかなか視界のピントが合わない。何度か目を擦ると、藍色がかった深い美しい髪を持つ少女が、猫のような特徴的な耳を動かしながら俺を見つめる。

「准尉、だいじょうぶ? ぼーっとして」少女はその藍色がかった髪を少しかき分け、俺を覗き込む。彼女の漆黒の虹彩が、俺をどきりとさせる。そう、目の前にいるのは文月智恵花中尉。あの核攻撃の直後出会った、俺の上司。情報処理特化型の義体化兵だ。 「あ、はい、ちょっとここ最近のことを考えていまして」俺はかさかさに乾いた唇を少し舐め、そして答える。 「ふうん、まあ、そうね。ここ最近、色々あったものね。まあ、今日はもう休憩しましょう。せっかくの土曜日だもの。昼食を食べたら仕事をおしまいにしたいわ。明日は日曜でお休みだし」智恵花はそう言うと、なぜか俺を見つめて嬉しそうに笑う。俺は、取りあえず強く頷いた。

 ふと、部屋のドアが開いた。その向こうには桜月かなた中佐の姿があった。桜月はティーポットなどを載せたトレイを持ち、よろよろと歩いてくる。桜月はここ最近、メンテナンスがうまくいっているのか、具合のいい日は杖が無くても歩けるようになってきていた。と言っても、やはり物を持って歩かせるわけにはいかない。俺は立ち上がり、桜月の持つトレイを受け取った。

「おお、悪いね。えっと、そろそろ休憩をしないか。まだ、神無月少尉と皐月伍長が仕事をしているから、少しだけ気が引けるが」桜月はそう言うと、ゆっくりと自分の席へと着いた。智恵花が慣れた手つきで部屋の中央にあるテーブルを片付け、俺はそこにトレイを置く。そして三人でテーブルの傍へと椅子を移動させた。

「カモミールティーで良いですか?」と智恵花。俺と桜月が無言で頷くと、彼女は鼻歌を歌いながらお茶の準備を始めた。 「いや、それにしても今日は冷えるね。この部屋は暖房が効いているけれど、廊下に出た途端に凍えそうになる」桜月はそう言うと、ぶるぶると小さく震える。 「朝方まで雪が降っていましたからね。こんなときにあの二人に仕事を頼んで気の毒だったかも知れません」俺はまだ雪のちらつく午前中に、ある任務のために基地の外へと向かった神無月と皐月のことを思い出していた。神無月は特に寒さが苦手で、泣きそうな表情で出かけて行ったな… 「お仕事だもの、仕方がない、仕方がない」智恵花はそう言うと、カモミールティーを俺たちに淹れてくれる。

「さあ、どうぞ。今日のお茶請けはチョコレートです。あの美味しくない砂漠でも解けない軍用のではなく、ちゃんとしたチョコレート! ようやく手に入るようになって来たの」智恵花はそう言うと、嬉しそうにチョコレートのパッケージを開封した。俺たちは一つずつチョコレートを手に取り、齧ってみる。智恵花と桜月はその美味しさに驚いたのか身震いし、耳を大きく動かした。

年が明けてから二か月近く。軍の情報ネットワークは順調に復旧してきているが、正体不明の何者かに散発的に通信ノードを破壊されていた。如月准尉のアイデアを基に、次のターゲットとなりそうな通信ノードの監視を行っていたところ、侵入者ありとの通報が。通信ノードに設置されたセンサからの情報を解析したところ、そこにはある義体化兵の姿があった…。ついに如月たちは、通信回線を破壊する侵入者たちと対峙します。そして、いくつかの謎が明らかに。