くろねこ小隊の不確定な作戦3:「―囚われのゴースト―」

 いつの間にか、夏は少しずつ遠ざかろうとしている。まだまだ昼間は、汗だくになるほど暑い。だが、朝晩は少しずつ涼しくなってきた。俺はあの日から、どうも寝つきが良くない。どうしても朝方に起きてしまう。そして、そんな時は埃っぽい宿舎の窓を少しだけ開けるのだ。携帯ラジオの電源を入れ、どこかの放送局が復活していないかとスキャンする。でも聞こえるのは空電ノイズのみ。俺は毎日溜息をつきながら、少しだけ笑みを浮かべるとラジオの電源を切り、窓の隙間から流れてくる冷たい風の匂いを嗅ぐ。わずかに金属臭い、そんな早朝の香りを嗅ぐ。

 あの核攻撃から、早一ヶ月、いや一ヶ月半ほど経つ。あの混乱の中、箱根学校にたどり着いた俺と情報軍の上官である文月智恵花中尉は、この学校を中心に復旧しつつある神奈川西部情報軍ネットワークの調整と管理をしている。箱根学校の近くには、近隣の住民向けの避難所があり、俺たちは避難をしている人たちの相手もしている。

 日本国の臨時政府がようやく動き始めたようだが、まだまだ完全復旧には程遠い。だが、被害の少なかった地域の住人達は、少しずつ帰宅を始めていた。俺と智恵花は帰宅する住人たちに付き添い、放射線モニタリングの業務も行っている。幸いこの辺りの放射線汚染は極々軽微だった。

 そんなこんなで箱根学校にも馴染み、そろそろ自分たちも本隊に復帰できるのではないかと思っているのだが、それがそううまくはいかない。まだまだ指令系統は分断されているのだ。しかしよく考えると、ここまで軍の復旧が遅れるのはおかしい。それに外国からの情報が入ってこないのも奇妙だ。まるで誰かが邪魔をしているかのように、ネットワークが復旧しない。一部が復旧したと思ったら、別の部分が通信を断絶してしまうのだ。そんな状況なので、技術者たちは旧来の短波通信、それも電信を使って諸外国との交信を試みようとしているらしい。だが、今となってはモールスなんて打てるものは少ないし、そもそも相手が電信の受信をしてくれるかなんてわからない。モールスが業務通信から消えて、すでに半世紀以上が経つのだ。

 と、俺はそんなことを考えながら、旧式の情報支援車『北上』の臓物をパネルから引きずり出している。この北上は俺と智恵花の命を救ってくれた恩人だが、かなりの旧式で色々なところにガタが出始めている。駆動系は少し前にフルメンテナンスされているようで調子が良いが、どうも制御系が良くない。たまに各種センサとの接続にエラーが発生し、その度に運転席近くのコンソールから警告音が出てしまうのだ。まあ、回路系の簡単な故障なら良いのだが。

「直りそう?」と、俺の傍らで椅子に座り、足をぶらぶらとさせている智恵花が訊ねる。もちろん足だけでなく、義体化兵特有の猫のような大きな耳と尻尾をゆらゆらと動かしながら。

「たぶん、何とかなりますよ」俺は、まだつまらなそうに足をばたつかせ、長い青みがかった艶やかな黒髪の先を指で弄る智恵花を一瞥すると、目の前に広がる配線類を眺めた。

 俺はパネルから引き出された各種ワイヤーや光ファイバをすべて外し、端子やその根元がどうなっているのかをチェックする。光ファイバの方は全く異常がない。だが、ワイヤーにつながるコネクタの方は圧着端子の付近がどうも怪しい、テスターで導通をチェックしながら根元を折り曲げると断線していることが分かった。

 俺は溜息をつきながら、先ほど準備してもらったメンテナンスキットをひっくり返し、同じ形状のケーブルを探す。情報軍の車両内の配線やユニットは統一規格に基づいて作られているので、すぐにメンテナンスが出来るのだ。

「と…」俺はお目当てのケーブルを探し出し、そしてそれを接続しようとする。が、片方はパネル側なので簡単に取り付けられるものの、もう片方は北上の奥の方にあり手が届かない。正式なメンテナンス手順では、床板を外すのだが面倒くさい。俺は無理矢理に身体をねじ込んだ。そして、手を思い切り伸ばす。

 ちなみに、こうやって無理に機械に身体を入れるのは良くない。これで死んだやつはごまんといる。そう思いつつも、何とかコネクタを差し込むと、俺は北上の奥に太いパイプを何本も通っているのを見つけた。周りに断熱材が巻かれているので、恐らく冷却剤か何かを送っているのだろうが。量子通信機の冷却用だろうか? それにしては大きすぎる気がする。

 俺は北上の体内から身体を引きずり出すと、携帯端末でマニュアルを読む。確かに量子通信機が載っているが、こんなに大規模な冷却システムについての記載は無い。俺は首を傾げながらも北上の電源を入れ、セルフチェック機能を動作させた。よし、大丈夫そうだ。  これで修理は完了した。俺は両手をウェスで拭きつつ、ふとパネルから北上のコンピュータに冷却システムについて訊ねる。すると、こんなメッセージが返ってきた。

『補助パターンマッチングユニット用の冷却システムです。現在、冷却剤の交換は必要ありません』

 なんだ?? この北上にはそんなユニットが入っているのか? 俺は好奇心をくすぐられ、そのユニットについて訊ねてみた。すると、

『機密事項です。なお、このユニットの維持には酸素カートリッジとB―203カートリッジが必要ですが、まだ追加の必要はありません』

 と奇妙なメッセージが返ってきた。なんなんだ、これは。俺が首を傾げると、大きな獣のような耳をつまらなそうに弄っていた智恵花が、急に目を輝かせて椅子から飛び降り駆け寄ってきた。

くろねこ小隊シリーズの第3話です。このお話では、自我のようなものが出現した人工知能について描いています。彼らの意識は、私たちとは異なるものなのでしょうか。