くろねこ小隊の束の間の休息1:「― リード・オンリー・メモリー ―」

 部屋の淀んだ空気を入れ替えるために、私はやや立て付けの悪い窓を少しだけ開けた。窓は微かな軋みをたてながら開き、外から冷気が部屋に流れ込む。冷気のあまりにもの冷たさに、私は少しだけ咳き込んだ。咳とともに、自分の頭には不釣り合いなほどの大きな耳が揺れるのがわかる。電力の供給が間に合わないからと言って、各部屋に石油ストーブを置くのはどうかと思う。確かに石油ストーブを使うと暖かいけれども、それと同時に空気中の酸素量が減少する。  そして私の大脳に直結された各種のセンサ酸素量の減少についてやかましく知らせてくる。となると、こうして寒くても窓を開けるしかない。寒さが苦手なのに…

 ふと漏らした溜息が、白い靄となって部屋の外へとたなびく。私は慌てて窓から身を引いた。そうだ、石油ストーブにあたろう。空気を汚すのは耐えられないけれど、でも寒さはもっと耐えられない。私の身体は生来のまま。つまり、繊細なのよ。

 私たちがあの核攻撃を経験してから、半年近くたったのかな。この半年、本当に色々なことがあった。嬉しいことも多かったけれど、もしかしたら寂しいこと、悲しいことの方が多かったのかも知れない。私たちの仲間である卯月は、三週間前に消息を絶ったまま。なぜ彼女が消息を絶ったのか理由がわからないし、その足取りもわからない。あの子はそうね、少しだけ気にいらない所はあったわ。すごく性格の良い子なんだけど、なんと言うか、如月准尉とも仲が良いし、まあ。それでも、仲間がいなくなるのは辛いことだし、心配もしている。

 私はそんなことをぼんやりと考えながら、私と如月准尉と(そして桜月中佐)の職場でもある、この部屋をぐるりと見渡した。お正月の三が日を終えたとは言え、まだまだこの箱根学校は冬期休暇中。学内にあまり人はいないし、本当に静か。あ、まだカレンダーをめくってなかったのね。私はカレンダーが昨年の十二月のままなことに気付き、それを取り外した。いつもなら、情報軍が毎年配っている新しいカレンダーを壁にかけるべきだけど、今年はカレンダーの発行は無し。まあ、そうよね。そんなことをしている余裕なんてないもの。

 でも、いつもあったものが、あるべき所にないだけで、何でこんなに寂しくなるのかしら。

 そんなことを考えていると、ふと部屋のドアがノックされた。そして一人の男性が入ってきた。仕事仲間の如月慧視准尉だ。准尉は何か考え事をしているのか、やや険しい表情を顔に浮かべながら少し俯いている。彼はとても頭が良いし気が優しい。その柔和な性格から、多くの人に好かれている。それに見た目もまあまあだしね。でもそのことが、ほんの少しだけ面白くない時もある。 「准尉、あけましておめでとう。今年もよろしくね」私が声をかけると、少し驚いたかのような表情をする准尉。でも、すぐにいつもの優しい笑みが溢れる。それを見て私は、心を支配していた寂しさが少しだけ緩んだことに気付く。

「おめでとうございます、中尉殿。今年もよろしくお願いします。いや、それにしても寒いですね」如月はそう言うと少し震えながら、石油ストーブに近づいてくる。 「ああ、空気の入れ替えをしていたの。ごめんなさいね」私はそう言うと、窓を一気に閉めた。 「いえいえ、すみません。外も寒くて」准尉が少し慌てながらそう話すと、私たち二人の携帯端末の着信音が鳴った。慌てて端末を見ると、箱根学校の校長である坂田少佐からの呼び出しメッセージが表示されていた。

「あ、呼び出しです。中尉殿も?」携帯端末をしまいながら、准尉が訊ねる。私が無言で頷くと、准尉は少し笑い、「じゃあ、行きましょうか。正月早々に、何の呼び出しでしょうね。変な仕事を頼まれなければいいのですが」  私は少しだけ溜息をつく。そして、石油ストーブを消して、二人で坂田少佐のもとへと向かった。

  *

 ここ箱根学校は、義体化手術を受けた兵士が、義体についての様々な訓練や教育、リハビリテーションを受ける施設。そのため、平常時はいたるところに義体化兵がいる。そもそも義体化兵なんて、まだ千人もいない。軍の各セクションに一人いるかどうかと言う感じだけど、ここでは多くのが義体化兵が勤務している。でも、今は違う。冬期休暇で人が少ないと言うこともあるけれど、あの核攻撃以降、ここは近隣住民の避難生活をサポートしたり、軍のネットワークなどインフラの復旧作業を主にしている。そのため、義体化兵以外の職員が増えてきているの。  坂田少佐のいる校長室は別の建物にある。私と准尉は冷気の充満する渡り廊下を足早に通り抜け、校長室へたどり着く。ノックをし、坂田少佐の返事を待ってからそっとドアを開けた。中に入ると、坂田少佐それに見慣れない女性の義体化兵がいた。私はその見慣れない義体化兵のことを気にしつつも、姿勢を正し坂田少佐に頭を下げる。 「文月中尉と如月准尉、参りました」私がそう言うと坂田少佐は、ふむんと頷く。 「よく来てくれた。正月早々にすまないな。まあ、楽にしてくれ」  そんな坂田少佐の言葉に甘え、私と准尉は少し楽な体勢を取った。 「坂田少佐、何の御用でしょうか」私がそう問いかけると、坂田少佐は何から話して良いのか悩んでいるようで、少し視線を宙に泳がせ曖昧な笑みを浮かべる。 「まあ、まずは掛けなさい。君もだ、雪月」  坂田少佐に促され、私と准尉はソファに腰かける。そして坂田少佐と雪月と呼ばれたその見慣れない義体化兵が、私たちに対面するように座る。雪月は私たち義体化兵特有の大きな耳、そうね犬の耳に似ているわね、を揺らし、不安そうに辺りを見つめた。

あの核攻撃を受けてから、初めて迎える新年。新年早々に智慧かと如月は坂田校長に呼び出され、新人の義体化兵「雪月少尉」と出会います。智恵花の視点を通して描かれる、くろねこ小隊の世界。新シリーズの開始です。