くろねこ小隊の収束する作戦5:「―ネットワークの息吹―」

 窓から見る風景には、まだうんざりするほどの雪が積もっている。三月に入ってから数日が経つが、一昨日から昨日にかけてかなりの雪が降った。ここ箱根は、三月に入ってからもこうしてしばしば大雪が降ることがある。だが、そんな箱根でも着実に春が訪れてきている。昨日、俺たちが仕事場を構えている箱根学校の校庭の隅で、フキノトウを見かけたと、神無月少尉が嬉しそうに言っていた。

「どうしたの、准尉?」後ろから、やや特徴的な若い女性の声がする。俺の上司である文月智恵花中尉の声だ。振り返るとそこには、不思議そうに俺を見つめる智恵花がいた。やや強気だが可愛らしい顔をしている。そんな智恵花を見て、俺は少し微笑んでしまう。
 智恵花は不思議そうに首を傾げ、その艶やかな青味がかった髪の中に生える二つの大きな黒猫のような耳を動かす。そう、この特徴的な耳を持つ智恵花は、身体の器官の一部を機械で代替している義体化兵なのだ。義体化兵には様々なタイプがいるが、彼女は大脳にコンピュータを接続した情報処理特化型。必要な時はそのコンピュータを活用し様々な情報を処理するが、普段はその辺にいる普通の少女と変わらない。
「いえ、まだ随分と雪が積もっているなあと」俺がそう言うと、智恵花が隣にやってきて窓の外を眺める。やや背の低い智恵花の耳が、俺の視界の下で興味深そうに動く。
「私、箱根で初めて冬を過ごしたのだけど、やっぱり結構雪が降るのね。小田原の方は、そんなに雪が降ることはないのだけれど」智恵花はそう言うと、俺を見上げ嬉しそうに笑う。

 智恵花と出会ってからどのぐらい経つのだろう。最初の出会いは去年の夏頃だったか。俺たちは前触れもなく、突然に核攻撃を受けた。他国との開戦の兆しはなかった。いつもと同じような普通の日。突如として、何発かの核ミサイルが我が国、日本を襲ったのだ。その被害に、俺たちはもう駄目かも知れないと思った。だが、何とか俺たちはその被害を乗り越え、最近では日本と同様に核攻撃を受けた他国との通信も回復し、俺たちの政府、つまり俺たちが所属している情報軍の親玉である連中も息を吹き返して、活動を再開し始めている。

「箱根の冬は結構厳しいですね。自分の地元ではそんなに雪は降らないので」俺がそう答えると、智恵花は耳を小刻みに動かす。
「准尉の地元って、確か神奈川でしょう? ここ箱根も神奈川だけれど、山から下りると箱根よりは暖かいものね」智恵花のそんな言葉に俺は頷いた。
「子供の頃は、それでもたまに降る雪が楽しみでしたが、実際にここで生活してみると除雪は割と大変だし車の運転も怖いしで」そんな俺の言葉に吹き出す智恵花。
「確かにそうね。まあ、豪雪地帯からすれば、箱根の雪ぐらい大したことはないのかも知れないけれど」

「と、中尉殿。そろそろ十時になりますので、少し休憩にしませんか」俺は壁にかかっている時計を見て、智恵花に言った。 「うん、そうね。いったん休憩しましょう」智恵花はそう言い頷くと、いそいそとお茶の準備を始める。
「あ、自分がやります」
「いーの、いーの。私の方が紅茶を淹れるのがうまいんだから」智恵花はそう言うと鼻歌混じりに、ポットを持って俺たちの仕事部屋から出て行った。

 俺は曖昧に頷き自分の席へと戻ると、仕事場であるこの部屋を見渡した。俺たちが所属、というか滞在している箱根学校は、元々は義体化兵のための訓練施設だ。あの核攻撃を逃れた俺と智恵花は箱根学校に流れ着き、そして部屋を用意してもらい、あの核攻撃以降に発生している種々の事件に対応している。
 この部屋には俺と智恵花、それに後からメンバーに加わった桜月中佐の席が用意されている。桜月も義体化兵であるが、智恵花とは異なり大脳以外の全てを機械で置換している。桜月は義体化研究の最初期に手術を受けており、大脳とのインタフェースの部分の調子があまり良くない。そのため調子の良い時にのみ、仕事をするためにこの部屋を訪れるのだ。
 そんなことを考えていると、ふいに部屋のドアが開いた。その向こうには、何となくぎこちない笑顔を浮かべた智恵花と桜月がいた。
「あ、桜月中佐、おはようございます」俺は立ち上がり挨拶をした。
「楽にして。いや、それが例のホログラフィック記憶装置、いわゆるホロメモリの解析が少し進んだんだ」桜月はそう言うと、杖を突きながら部屋へと入ってくる。そして、やや難儀そうに自分の席に腰を掛けた。

「中佐も紅茶でいいですか?」と智恵花。何となく表情が硬い気がする。
「あ、悪いね」桜月はそう言うと、自分の携帯端末を操作した。それと同時に、部屋の中央にある三次元ディスプレイが起動する。
「これから休憩の時間だったんだね。ごめんね、少しだけ話させて」桜月はそう言うと、申し訳なさそうに智恵花を見つめる。智恵花はようやく微笑み頷いた。

「中佐、ホロメモリと言うと、あの『インテリジェント・クリスタル』のもとで働いていた葉月夫妻が自分たちに託した、あのメモリのことですよね」
 俺は以前、ある事件で出会った葉月夫妻のことを思い出した。夫妻はここ数か月で起きている義体化兵の謎の失踪事件に関係していた。夫妻はインテリジェント・クリスタルと言う、現在の社会構造を破壊し新たな世界を創造しようというカルトじみた組織に属していた。
「あのホロメモリ、確か情報が一部欠損していて、内容を読みだせなかったんですよね?」智恵花が紅茶の用意をしながら訊ねる。

「そうそう、一部破損しているんだ。でもホログラフィを使っているから解像度が低いものの、ある程度は中身を読みだせる」桜月はそう言うと、ホロメモリに書き込まれているビット列を可視化して三次元ディスプレイに表示した。
「あ、紅茶です。お菓子もあります」智恵花は桜月にカップを渡し、俺にも同じようにしてくれる。
 俺は手にしたカップから紅茶を啜った。うまい。
「中尉殿、美味しいですよ」俺のそんな言葉に、智恵花は頬を赤らめる。
「うん、美味しい」桜月も笑いながら紅茶を楽しんだ。
「それで、何か新しいことがわかったのですね?」俺が訊ねると、桜月は紅茶をごくりと飲み込んでから頷いた。